国王戴冠60周年の歩み

6月12-13日に、天皇皇后両陛下など各国の王族を招いて慶祝の行事が行われる。
 その前にプミポン国王の治世を振り返る、と以下の通り。

 1)ご略歴
  1927.12.5 米国マサチューセッツ州ケンブリッジにて父マヒドン殿下、母シーナカリン殿下の第3誌(二男)として誕生。

  1929年、父マヒドン殿下死去(37歳)
  1932年 立憲革命
  1933年 母シーナカリン殿下一家、スイス・ローザンヌに移る。
  1934年 ラーマ7世、退位。アーナンタ・マヒドン親王(現国王の兄)が即位。
        ラーマ8世に。(10歳) 摂政を置く。
  1938年 ラーマ8世、帰国。(13歳)
  1941年 ラーマ7世、死去。
  1945年 ラーマ8世、帰国

  1946.6.9 ラーマ8世死亡。プミポンアドウヤデート国王即位、ラーマ9世となる。(19歳)
      国王、スイスに外遊。ローザンヌ大学にて,工学・サイエンス+法律・政治学を学ぶ。
  1948.10.9 スイスにて交通事故(右目負傷)
  1949.7.19 MRシリキット・キテイヤカラと婚約。
  1950.3.24 ラーマ9世、帰国
     3.29 ラーマ8世の葬儀
     4.28 シリキット王妃とご結婚
     5.5 ラーマ9世、戴冠式(再びスイスへ)

  I will reign with righteouseness for the benefits and happiness of the Siamese people.

  1951.4.5 ウボンラット王女殿下、誕生
  1951.12.2 ラーマ9世、帰国
  1952.7.28 ワチラコーン皇太子殿下、誕生
  1955.4.2 シリントーン王女殿下、誕生。
  1957.9.16 チュラポーン王女殿下誕生。(王様の1男3女に)

 2)政治的な危機
  1932年の立憲革命後、20回のクーデター
  1973.10.14 学生革命
   タノム軍事政権下に数百人が死亡。国王、学生を支持、タノムに国外退去を説得。
   サンヤーを首相に任命。国民に平静を呼びかけ。
  1992.5.20 スチンダー首相と、チャムローンを王宮に招き、仲裁
  (シリントーン王女殿下、仲裁)

 3)地方訪問
 1950年代から積極的に地方を訪問。
 1953年 スパンブリー、チャイナート、シンブリー
 1955年 北タイ
 1956年 東北タイ
 1958年 南タイ

 4)外遊
 1959年 南ベトナム、
 1960年 インドネシア、ミャンマー、その他6ヶ月間14カ国訪問
 1963年 訪日
 1967年を最後に、海外訪問中止(理由:渡航費用が多い、随行人数が多い)
 1994.4.8-9 タイ・ラオス友好橋開通を祝い、ラオス訪問(27年ぶり)

 5)国王に対する国民の尊厳はどうして生まれたか、は様々な意見がある。
 ①王者の十正道(トッサピットラーチャタム)
 布施、自戒、犠牲、公正、温和、努力、不怒、不圧、忍耐、不誤
 ②憲法上の規定 「国王を元首とする民主主義制度」(2条)など
 ③広報・教育
 王室ニュース、儀式、要人来訪、チャリテイー、教科書、大学卒業証書授与、劇場の国王賛歌
 ④国王プロジェクト
 1950-1995年に2416のプロジェクトを実施
 ⑤王室財産局
 財閥の株式所有、森林の1/3の所有、バンコク市内の土地所有
 王室独自の資産があることから、上記のようなプロジェクトが実施できる。
 (参考:5.26JCC観光広報部会における日本大使館広報文化部の講演資料)

 6)王族の被災地への素早い見舞い
 タイ北部のウタラヂット県Uttaraditの大雨と土砂崩れで多数の犠牲者がでたLaplae district 地区の住民は、Soamsawali
 王女殿下の調理と、ハンデイトーキーによる見舞いの言葉におどろいた。これは5月23日のこと。大雨と土砂崩れで、
 タクシン首相が見舞いに出かけている前後に、既に王族自らが被災地を見舞っている。その他、貧困、山岳民族の
 自立など、王族自らが弱者へのいたわり、配慮を見せることがプミポン国王の意図であると思われる。(バンコクポスト紙)

by tmobkk | 2006-06-01 19:02 | タイの動き  

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